『赤ちゃん教育』 野崎歓

おやすみ図書の7冊目は、お子さんがいてもいなくても読んでおきたいこちらの本です。
学者さんによる子育てエッセーという微笑ましい本で、文体と内容のギャップが笑いを誘いますし、溢れ出る我が子賛歌に日本語表現の豊かさを感心せずにはいられません。
そして表紙が五月女ケイ子。強烈です。

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赤ちゃん教育
野崎歓
講談社文庫



四十半ばで初めて子供を持ったというフランス文学者による、幼い我が子との日々を綴ったエッセイ。

赤ん坊や幼児の愛らしさへの感動と、専門であるフランス文学とを関連づけて思考していく学者ならではのユニークな展開が面白いですし、美しくて理性的な文章なのです。
その端正さ故に、読者は流れるようにスルスル読み続け(思えば最初から「きかんしゃトーマス」の事を書いているのだけど)、40ページ頃になり、ようやく「私は何を読まされているのか」と思い至ります。

曰く、

ジャック・ラカン博士のいわゆる「鏡像段階」に続いて(あるいはそれと並行して)、赤ん坊は自我の形成においてもう一つ、重要な段階を経る。「電車段階」ないしは「乗り物段階」がそれだ。(中略) 赤ん坊はまず電車を始めとする大型乗り物を介して社会に目を開き、そこにあふれるパワーとエネルギーに強い憧れを抱く。やがて電車を運行する重責を担うのが運転士と呼ばれる存在であることを知ると、激しい異形の念を「運転士さん」(=うんてんちゃん) に注ぎこみ、たちまち自らを「運転士さん」と同一化するに至る。運転士さんと化した赤ん坊は以後、みずからの日々の暮らしをことごとく鉄道関係用語によって言説化するようになりー(中略) 自分もまた周囲から「運転士さん」として遇されることを望み、喜ぶようになる。かくして赤ん坊は言葉と社会性に目覚め、擬似運転士さんとして自己形成していくのである。


なにそれ。
(※しかし主に男児の親が聞いた場合、とても説得力のある説なのだそうです)

赤ん坊の親という新しい視点を得た著者が自らの専門であるフランス文学にケチをつけ始めるのも可笑しくてしょうがないし、大真面目の表情で我が子の優美さについて語っているのも面白い。

著者のどことなく浮世離れした柔らかなユーモア感覚は、子供の有無に関わらず幸せな(大変そうな)追体験を楽しませてくれますし、新しい感受性を与えてくれる気がします。それに、さすが文学者、本中ではたくさんのフランス文学を紹介してくれています。

赤ちゃんの産毛の様なやわらかな眠りを約束してくれる、発見と喜びに満ちたエッセイです。