おやすみ図書24冊目 『吾輩は猫である』夏目漱石

前回でせっかく漱石の話が出てきましたので、おやすみ図書24冊目はこちらの本に致しましょう。

この本は夏目漱石の処女小説であるだけではなく、日本を代表する名著のひとつでもあります。

そしてまた、出不精文学の金字塔ともいえるでしょう。
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吾輩は猫である
夏目漱石
新潮文庫

思えば冒頭から猫は喋り散らかしていますが、言いたい放題なのは猫だけではありません。どいつもこいつも最初からずっと言いたい放題です。
「これが夏目漱石の有名な名著か」
なんて手にとって読み始めた人はきっと、ええーと目が見開くことでしょう。
冷静通り越して悪口じゃん、といった言葉がポンポン出てくるのですが、それが妙に解りやすく目に浮かぶものですから、人の悪口で笑うのは良くないなと思いながらも、ついつい笑ってしまいます。

物語には緩急もあり、事件もありますが、そんな中でも基本的にふざけているか妙に上手い悪口を言っているかで、いっそ爽やかです。しかも苦沙弥先生は家から出たくない性格なので、ほぼ全編家の中で、猫の語りと人間の会話劇で成立します。それがまた、出掛けない事に意味がある感じでもないのですよ。ただの怠惰でこんなに出掛けないという驚き。

あと名前がアレなんです。苦沙味先生のフルネームは「珍野 苦沙弥」ですし。字面も不憫だし。 他の登場人物も皆さんけったいな名前です。

それから、苦沙味先生の奥様をまじえたエピソードですが、「これってフィクションじゃなくない…?」という話が出てきます。『漱石の思い出』かどこかの本で読んで、既視感があるのです。
そういえば『漱石の思い出』の中でも、家族が「それ以上やっているとお父様に小説に書かれるぞ!」みたいな事を言っているページがあったような……。

まあそれは置いておいて、
猫による人間観察の、風刺のきいた見解や苦沙味先生による文明についての考えなんかは漱石自身がお話ししているようですし、
なんかもう、多面体の様に色んな方向から面白いです。

『猫』は元々仲間内の集まりで見せる為に作ったそうなので、おそらくお仲間は大いに楽しみ、また舌を巻いたのではないでしょうか。文章は歯切れ良く頭に流れ込む言葉の調子が心地よいです。それでいて独特の味があって。

所で、 私はそんな事を思いながら楽しく読み進めていたあるタイミングで、笑いの底から正体の分からない寂しさが滲んでいる事に気付きました。それが知らない内に私の胸にしみを作っていて、多分もう、取れそうもない事にも。
その時ふと、私は面白可笑しがって本を読むつもりで、生き死にの暗い淵を覗いていたんだなと思いました。

これが日本の名著なんだなあ。以来例のシミは、じわりじわりと広がり続けて私の命を冷やしているようです。こんな形で命の深淵を覗けてしまった事にぞわりとしながら、どの道面白いからまた読み返そうと思います。

どうであれ、クッションか座布団にでも頭を乗せて、時々可笑しさに吹き出しながら、この本を読む事は最高の贅沢だと思います。