【食べることと飲むこと 02】ガトーインビジブル

林檎のガトーインビジブル

薄くスライスした林檎をケーキ液の中に入れて混ぜ合わせ、断層を作るようにペタペタ容器に重ねていって、焼いたらできる。カットすると断面が美しい、目にも楽しいケーキだ。

私は林檎しか作ったことがないが(何故なら火入れした林檎が好きだから)、スライスできるものだったら林檎に限らず使える。そんな自由さが良いし、とても簡単なレシピだ。
しかし、とろみの強い液の混じった林檎は中々扱いづらい。丁寧に作ろうとしても自分の理想の重ね方にはならなくて、自分の不器用さに苦い気持ちになる。

でも焼き上がって断面を見ると、いつだって意外と悪くないのである。
しかも火入れされた林檎がたっぷりでジューシーだ。美味しい。

2024になった。
年明けに作ったガトーインビジブルを食べながら、昨年も不器用な一年だったし、今年も不器用に過ごす一年なんだろうと思った。
でも昨年も、いい一年だったな。
今年もきっといい年になると思う。

【音楽の話がしたい 02】 Bill Evans / Everybody Digs Bill Evans

数年前ビル・エヴァンスドキュメンタリー映画を観てからというもの、
「あ、鳥だ」
と思うとビル・エヴァンスの「peace piece」が脳内で自動再生されるようになった。

水面がたゆたうような印象を与える、穏やかで美しい曲だ。
それでいてメロディを奏でる音はピンと張った糸のような緊張感がある。
美しくて悲しくなりそうだ。悲しくなりそうなのに、どこまでも穏やかで優しい。

映画中では、夕焼けの中かもめが飛んでいる様子がこの曲と一緒に長い時間映されていた。
その映像が今だに忘れられない。

だから鳥が空を飛んでいるのを見ると、いい曲だなと思う。


ちなみにこの曲が収録されている『Everybody Digs Bill Evans 』は静かで美しい音楽が好きな人は必聴の、リリシズムあふれる名盤です。
全人類が聴けば良いのに、と私はいつも思っています。

おやすみ図書25冊目『たのしい川べ』ケネス・グレーアム

おやすみ図書の25冊目は、まさに「たのしい川べ」なこちらの本に致しましょう。

何が良いかって、まずこの邦題です。
ど直近って本当に良いなあ。だってこの本は本当に「たのしい川べ」の話なんですもの。

静かな午前、ゆっくりとした日の午後、寝入り前のうっとりした時間、その他いつでも。私たちはこの本を開くといつでも「たのしい川べ」に行くことができます。
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『たのしい川べ 』
ケネス・グレーアム著
石井桃子
岩波少年文庫

ずっと地下の穴の中のちいさなおうちで暮らしていたモグラ君は、ある春の日に誘われるようにして地上に出て、生まれてはじめて川を見ます。美しい水の話すことばや川べの風景に夢中になっている時、川べに暮らすネズミ君と出会い、友達に。そのままふたりでネズミ君のおうちで一緒に暮らすことになるというのが物語のはじまりです。「このふたり距離詰めるの早すぎない?」と思わなくもないですが、それもまたよし。誰かと誰かが仲良くなるスピードに決まりはありませんからね!

ふたりの暮らしや会話、心地よい家、四季折々の川べの様子、周辺に生きる動物たちの暮らしや動物同士のマナーについて。森の動物との付き合い方について。
ひとつひとつがとても楽しい。大袈裟な描写は無いのに胸に迫るような感動があるのは、ロンドン近くのテムズ河の河畔を生涯愛したという作者のケネス・グレーアムさんの心がそのまま文章にあらわれているからなんだろうなと思います。

各章それぞれが面白く、また景色の描写も印象的ですから、一度通しで読んだ次からは、その日に見たい風景を読み返すという読み方も楽しそうです。そう、読み返す為にあるような本だと思います。

この本にでてくるキャラクター達は、それぞれがキャラ立ちしていて面白いです。
主人公のモグラ君、ネズミ君はもちろん、サザエさんの「中島くん」ポジションとでもいうべきカワウソ君(お子さんが可愛い)や、頼りになりすぎる兄貴分のアナグマ君などそれぞれ大好きになってしまいます。
そしてなんといっても忘れてならないのは、もうひとりの主人公ともいえるヒキガエル君の存在でしょう。

作者のケネス・グレーアムさんの息子君にキャラを寄せたという「ヒキガエル君」の出てくる章は盛り上がります。
先祖代々お金持ちのヒキガエル君は、明るく親切な性格ですがその半面、うぬぼれ屋で自慢が大好き、努力が嫌いで新しいものにすぐ手を出しては失敗を繰り返すという、どうしようもない所があります。この性格のせいで大変な目にあい、大冒険を余儀なくされることになるのです。
このヒキガエル君のお話は「たのしい川べ」の外伝?のような立ち位置で定期的に挟まれるのですが、ダメな奴なのに可愛らしいヒキガエル君の冒険はとても面白く、本編と繋がりクライマックスにうねる流れも大いに盛り上がります。

ヒキガエル君の成長物語は子供は勿論、子供から大人になったことがある人たちにとっても沁みるいい話なので是非おたのしみに。


それからこの本もーー岩波少年文庫はどれもですがーーあとがきが面白いです。
作者の生い立ちや物語が生まれる背景などを丁寧に解説する内容ですが、言葉にあたたかみと尊敬があり、物語や作者への敬愛がひしひしと伝わってきます。それにすごく詳細に書いてあって面白い。読み応えがあります。こんなあとがきを読めるだなんて、なんて贅沢で幸せな事でしょうか。

岩波少年文庫のシリーズやその関連図書はとても面白く、またおやすみ前の読書に最高なので、また時々このブログで書くことでしょう。

おやすみ図書24冊目 『吾輩は猫である』夏目漱石

前回でせっかく漱石の話が出てきましたので、おやすみ図書24冊目はこちらの本に致しましょう。

この本は夏目漱石の処女小説であるだけではなく、日本を代表する名著のひとつでもあります。

そしてまた、出不精文学の金字塔ともいえるでしょう。
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吾輩は猫である
夏目漱石
新潮文庫

思えば冒頭から猫は喋り散らかしていますが、言いたい放題なのは猫だけではありません。どいつもこいつも最初からずっと言いたい放題です。
「これが夏目漱石の有名な名著か」
なんて手にとって読み始めた人はきっと、ええーと目が見開くことでしょう。
冷静通り越して悪口じゃん、といった言葉がポンポン出てくるのですが、それが妙に解りやすく目に浮かぶものですから、人の悪口で笑うのは良くないなと思いながらも、ついつい笑ってしまいます。

物語には緩急もあり、事件もありますが、そんな中でも基本的にふざけているか妙に上手い悪口を言っているかで、いっそ爽やかです。しかも苦沙弥先生は家から出たくない性格なので、ほぼ全編家の中で、猫の語りと人間の会話劇で成立します。それがまた、出掛けない事に意味がある感じでもないのですよ。ただの怠惰でこんなに出掛けないという驚き。

あと名前がアレなんです。苦沙味先生のフルネームは「珍野 苦沙弥」ですし。字面も不憫だし。 他の登場人物も皆さんけったいな名前です。

それから、苦沙味先生の奥様をまじえたエピソードですが、「これってフィクションじゃなくない…?」という話が出てきます。『漱石の思い出』かどこかの本で読んで、既視感があるのです。
そういえば『漱石の思い出』の中でも、家族が「それ以上やっているとお父様に小説に書かれるぞ!」みたいな事を言っているページがあったような……。

まあそれは置いておいて、
猫による人間観察の、風刺のきいた見解や苦沙味先生による文明についての考えなんかは漱石自身がお話ししているようですし、
なんかもう、多面体の様に色んな方向から面白いです。

『猫』は元々仲間内の集まりで見せる為に作ったそうなので、おそらくお仲間は大いに楽しみ、また舌を巻いたのではないでしょうか。文章は歯切れ良く頭に流れ込む言葉の調子が心地よいです。それでいて独特の味があって。

所で、 私はそんな事を思いながら楽しく読み進めていたあるタイミングで、笑いの底から正体の分からない寂しさが滲んでいる事に気付きました。それが知らない内に私の胸にしみを作っていて、多分もう、取れそうもない事にも。
その時ふと、私は面白可笑しがって本を読むつもりで、生き死にの暗い淵を覗いていたんだなと思いました。

これが日本の名著なんだなあ。以来例のシミは、じわりじわりと広がり続けて私の命を冷やしているようです。こんな形で命の深淵を覗けてしまった事にぞわりとしながら、どの道面白いからまた読み返そうと思います。

どうであれ、クッションか座布団にでも頭を乗せて、時々可笑しさに吹き出しながら、この本を読む事は最高の贅沢だと思います。

おやすみ図書23冊目 『子規のココア・漱石のカステラ』坪内稔典

おやすみ図書の23冊目は、正岡子規研究家であり俳人でもあるという著者のこちらの本にいたします。

 

おやすみ前にもおすすめですし、ちょっと一休みしたい時、甘いものをつまみながらこの本を読むのなんていうのもおすすめです。

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『子規のココア・漱石のカステラ』

坪内稔典
NHK出版

 

 

三月の甘納豆のうふふふふ

でお馴染みの俳人であり正岡子規研究家でもある坪内稔典(ツボウチ・トシノリ)さん、通称《ネンテンさん》によるユニークな随筆本。

正岡子規夏目漱石の俳句や手紙、エピソードを紹介しつつ、そこに連想されるご自身の日常の事々を面白おかしく紹介する、といった著者ならではの内容の、ほのぼの楽しめるエッセイ本です。

 

《ネンテンさん》はこの二人のことが心底好きで、敬愛と共に時間を超えた仲間意識があるのでしょう。意識的なのか無意識なのか、ご自身を2人と同列で語っていて、それがこの本に不思議な味わいを与えています。

あまりにも《ネンテンさん》のエッセイと子規と漱石との境界が馴染んでいるせいで、ふたつの間に確かにあるはずの時間軸が同じに感じ始めるのです。むしろ明治の文豪二人の方が若々しく思えるのが可笑しい。二人共若くして亡くなっているので当然といえば当然なのですが、変な感じでうふふと思います。

 

さて、

《ネンテンさん》の紹介してくれる二人の話はとても詳しく面白く、子規や漱石の姿がまざまざと見えるようです。また紹介されている文章が、彼らの素を伝えてくれて興味深い。

2人の手紙のやり取りで、互いを「妾」「郎君」などと呼び合っていたエピソードなんかも傑作です。

 

 

俳句でも手紙でも日記でも、彼らの小気味良い言葉の選び方は楽しく、また憎まれ口をきくように、少し笑いを入れて愛や寂寥(せきりょう)を伝える彼らの言葉は、そのものズバリをあまり言わないにも関わらず、まっすぐ素直にその心が伝わってくるようです。そしてその心のなんて面白く気持ちの良いことでしょう。

 

そしてそんな風に思っていると、次のページでは《ネンテンさん》のエピソードでズッコケています。《ネンテンさん》のエピソードは面白チャーミングな上に、定期的に登場するご家族のキャラクターも楽しい。

 

この3人を中心にコンパクトに小話が並んだ本書の形態は、昼間の一休みにもちょうど良いですし、おやすみ前にもちょうどいいと思います。

 

本の表紙の絵柄がまさにこの本の特徴をとらえています。心和む、良い本です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【食べることと飲むこと 01】瓜

近所の八百屋で瓜を買った。 瓜はいつ食べても、少し寝ぼけた味がする。

寝ぼけてるくせに、メロンのように香りは甘い。 種を取っている時、一層甘い香りが濃くなって、夏だなと思う。

しかし、切り方はこれで良いのだろうか。 違う気がする。 もう少し、なんかないのか。

昔母に聞いたら「そんなの適当よ」と言っていた。「そっか、そういうものか」と思っていたけど、もしかして母もイマイチわかっていないのではないか。というか過去「そんなの適当よ」と言われた事は、全部よくわかっていなかったのではないか。話が大きくなってしまった。別にいいんだ、そんなのどっちだって。

夏になると食べたくなるくせに、瓜についてはイマイチわからないままだ。 なんせ味が寝ぼけてるんだもん。切り方だってぼんやりするんだろう。そして調べようというモチベーションも大してわかない。

今年もボケーっと食べている。 瓜は寝ぼけた味のくせに、甘い香りをさせながら瑞々しい果肉をしている。 いつ食べても、少し寝ぼけた味がする。 寝ぼけてるくせに、メロンのように香りは甘い。 種を取っている時、一層甘い香りが濃くなって、夏だなと思う。 そうしてぼんやりと夏が過ぎていく。

【音楽の話がしたい 01】 Fabio Caramuru / EcoMusica

おやすみ図書とは関係ないけど、最近聴いている音楽について。

私には音楽の話が出来る友人がいません。
別に語りたいわけではないのでそれはいいけど、一緒に聴いてくれる人がいればいいのになと時々思います。

というわけで、誰に言うこともできない音楽の感想を時々こちらで書ければ嬉しいなと思います。

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Fabio Caramuru / EcoMusica


ここ最近はFabio Caramuruの音楽を一番聴いています。ひんやりしたピアノの音と野鳥や虫の声が心地が良いです。


懐かしい記憶の中にいるような、大きい氷のそばにいるような、冷んやりとした感じがします。
まるで自分が岩に染み入る虫の声になってしまった気がしますし、蛙飛び込む水の音になったような気もします。
不思議な感覚になる音楽です。

それぞれの曲が美しいのに聴いている途中「無」になってしまう事も、申し訳なくも面白く思います。気絶はしていないはずだけど、意識は飛んでいるのかもしれません。アルバム「ecomusica」は気づくと次の曲になっていて、違う獣や虫の声が鳴いています。その度に、違う波の上にたゆたっている感じがします。